中学受験の伴走をしていると、「もう無理」と思う瞬間が誰にでも1度くらいは訪れるのではないかと思います。私は2人の伴走をする中で、1度どころか何度も「もう無理だ」と思う瞬間がありました。今回は、そんな瞬間に直面したとき、私がどう自分と向き合っていたかをお伝えしたいと思います。
第一志望が決まってから、うまくいかない日が増えた

第一志望が明確になると、今の成績とのギャップや、何をしなければならないかが具体的に見えてきます。目標がはっきりする一方で、思うように勉強が進まない、成績が上がらないという現実にも直面しやすくなります。子ども自身にも、プレッシャーや、時にはそこから逃げたいという気持ちがあったのだろうと思います。そういう時期は、子どもと衝突することが何度もありました。
「もう辞めてしまおうか」と思う日もあった
衝突が重なる日が続くと、「中学受験なんて、もう辞めてしまおうか」と思うことがありました。これは上の子・下の子、どちらの伴走中にも訪れた感覚です。特別な理由があったわけではなく、日々の積み重ねの中で、ふと限界を感じるような瞬間でした。
「限界」と感じると、自然と「もう無理だな…」と思えてくるもので、そんな気持ちとどう向き合えば良いかわからなくなることも何度もありました。
立て直したのではなく、「諦め」に近い感覚を持つようになった

そういうとき、私の場合は、気持ちを前向きに立て直すというより、ある種の諦めに近い感覚を持つようになっていきました。
子どもの人生をより良くしたいと思って動いていたとしても、それはあくまで子ども自身の人生です。やるかやらないかを最終的に決めるのは子どもであり、親はその手助けをすることしかできません。たとえ進んだ先の結果が不合格だったとしても、それは子ども自身の経験として残るものです。
「もう無理」と思うこと自体が、親の思い込みだったのかもしれない
子どもの人生は子どものものだと考えるようになると、そもそも親である私が「もう無理」と感じること自体が、少しおかしな話なのではないかと思うようになりました。「子どもを第一志望に受からせなければ」という思い込みを、自分自身が勝手に荷物として背負い込んでいたのかもしれません。その荷物を少し手放すような感覚が、当時の私には近かったように思います。
衝突し、もう限界かも…と思うたびに、「これは子どもの人生なのだから、私がどうこうする問題ではない」と思い直す時間を作っていました。最終的に、「中学受験をするためのサポートや金銭的な部分に親自身が納得できているか」という視点を持つように心がけるようになりました。そこに納得できていれば、「子どもがどんな風に中学受験に向き合い、結果がどうなろうと子どもの人生だ」と思うことができました
言い方を変えれば、これも子離れのタイミングのひとつだったように思います。
最後に
「もう無理」と思ったとき、私がしていたのは気持ちを立て直すことではなく、抱え込んでいたものを見直すことでした。頑張り方を変えるのではなく、そもそも何をどこまで自分が背負うべきなのかを考え直す。そのタイミングが、あの「もう無理」という感覚だったのかもしれません。
もちろん、子どもが第一志望の学校に合格することを最後まで願っていた自分もいます。ですが、合格させることを親の義務や責任のように考える必要はないのかもしれません。


コメント